アパレル業界の多くの企業は売上を伸ばすために、売れる商品の品切れがないように、多めに在庫を抱えるようにしています。つまり、売れ残りが出て、廃棄することを前提に仕入れをしている店舗が多いということです。
どの企業も売上を上げ続けなければ存続が難しいので、仕方がないビジネスモデルだと「ファッションロス」の問題は先延ばしにされてきました。
この業界に20年間従事したにも関わらず、この現場が当たり前のことだと諦めずに、ファッションロスの削減につながる分野で起業したのが秦 紀子さんです。
「布ナプキン」を切り口に「ファッションロス削減」や「女性の新しい働き方の創出」に取り組む秦さんが、なぜそのような取り組みをしているのか?なぜ多くの革新を起こすことができるのか?という根底にある「核心」についてのインタビューをお届けします。

カクシン編集部の林です!僕が聞きました!
「アパレル店員」から「社会起業家」へ転身

今行っている事業や活動を始めるまでの経緯を教えてください。
アパレル業界に20年ほど従事していました。
この期間に洋服の製造や仕入れ販売などの一通りの知識や経験ができたので、10年ほど前に一軒家を建てる時に、自宅の隣に小さな店舗スペースを作って「雑貨店」を始めました。
このタイミングで「布ナプキン」の製造・販売やワークショップを開催するようになりました。
自宅で雑貨店を始めたのはなぜですか?
20年間アパレル業界で働いたのですが、仕事が終わる時間も遅いですし、土日も働かなければいけません。
子育てをしていると自分の時間が全くないので、そのような環境で働くのは難しいと思い、自分で何かしようと思ったことがきっかけです。
雑貨店のオープンは大変でしたか?
子どもが生まれる前から、イベントやマルシェで自分で作った商品を販売していました。この時にたくさんの作家さんとのつながりができたので、商品の仕入れはスムーズに進められました。
あと、アパレル業界で「商品を仕入れて販売する」という経験があったので、自分のお店でも商品を仕入れて販売することは抵抗なくできたんだと思います。
お店を開けていたのも子どもを幼稚園に預けている時間帯に週に3回ほどだったので、無理なく続けられました。
アパレル業界ではどのような業務を担当していましたか?
アパレル業界にいた20年間の間で何回か転職や転勤をしました。
職種としてもショップの販売員だけでなく、商品の企画や店舗のマネジメント、さらには新店舗のオープンやリニューアルオープン、店舗の閉店、会社の倒産も経験しました。アパレル業界で想定されるほとんどのことを経験したと思いますね。
特に印象に残っている会社や業務はありますか?
8年くらい働いた最初の会社が一番長かったのですが、今から30年も前なのに残布を使って商品を作ったり、人気がなかった色の洋服を染め替えて販売したり、長袖を半袖に加工したりと色々な方法で「捨てない」工夫をしていました。
この会社での経験が今の私の考え方や活動の基礎になっていると思います。
その会社のやり方は一般的ではないんですよね?
その会社で8年働いた後に、洋服の問屋さんやブランドなど色々なアパレル企業で働きましたが、「捨てることを前提に」商品を作ったり、仕入れたりすることが当たり前の会社が多かったです。
できる限り捨てない工夫をする会社で働いた後だったので、多すぎる「ファッションロス」の問題を何とかしたいと思うようになりました。
自身の経験から「布ナプキン」の可能性に着目

「布ナプキン」に着目した理由はなぜですか?
子どもを出産した後に、ホルモンのバランスが崩れたり、精神的に不安定になったりととても大変な時期を過ごしました。
それまでも布ナプキンの存在は知っていましたが、使ったことはありませんでした。しかし、子育て中で自宅にいることが多いし職場も自宅の隣のお店なので、試しに使ってみようと思い、布ナプキンを使い始めたのが2012年でした。
使ってみてどうでしたか?
体調もすごく良くなりましたし、何よりも布ナプキンは洗ってリユースできるので「ごみが出ない」ことに衝撃を受けたんです。
長年「捨てるものにお金を払っている感覚」があったので、体調も良くなるし経済的にも助かるのであれば、他の女性たちも喜んでくれるかもしれないと思い、2013年に製造・販売・ワークショップの布ナプキン事業を始めました。
どのように布ナプキンを商品化しましたか?
ミシンは元々使えたので、最初は市販されている布ナプキンを参考にしながら作ってみて、実際に使っていただいている方々からのフィードバックを元に改善を繰り返して商品化しました。
今でも定期的にモニターを募集して、布ナプキンを使っていただいて、フィードバックを集めています。
すぐに布ナプキンを受け入れてもらえましたか?
少しずつ普及しているとは言っても、まだまだ使うのに抵抗がある方も多いですね。
なので、まずは布ナプキンに触れてもらう機会を増やしたいと思い、生理用品ではなく「温活」の一環として使っていただく発信もしています。
一度使っていただけると布ナプキンの良さを実感していただけるんです。
1人でも多くの女性のブルーデイをhappyにするために協会を設立

「布ナプキンコーディネーター™️協会」を始めたきっかけを教えてください。
最初は1人のユーザーとして布ナプキンを使い、日々の雑談の中で友人たちに布ナプキンの良さを話していただけなんです。
すると「布ナプキンのことをもっと詳しく教えてほしい」という人が増えてきたので、布ナプキン講座やワークショップなど、布ナプキンを広める活動を本格的に始めました。
どのような反応がありましたか?
活動を3年ほど続けていたら次は「秦さんの布ナプキンの活動を手伝いたい」という人が増えてきたんです。
ここで布ナプキンを「使いたい人」だけでなく「広めたい人」も多いんだと気づき、布ナプキンのスペシャリストを育成する「布ナプキンコーディネーター™️協会」を2016年に始めました。
「布ナプキンコーディネーター™️協会」はどうやって作りましたか?
当時、布ナプキンを3年ほど使っていて、その間に生理や月経についての専門書を40冊以上は読み込んだと思います。
その後、「メイドインアース」というオーガニックコットンの専門店が開催するオーガニックコットンや布ナプキンについて学ぶ「MIE布ナプキンアドバイザー養成講座」を受講しました。
ビジネス面で考えると競合になりそうですが、どういう風に話を通したんですか?
将来的に布ナプキンを広める活動をしたいという意思は事前に伝えて、「布ナプキンを広めるためであれば応援します」と了承を頂きました。
当時「MIE布ナプキンアドバイザー養成講座」は東京でのみ開催されていたので、大分県内にいる私の友人たちは受けづらいと思い、ママたちが自宅で受けられるようにオンライン形式で「布ナプキンコーディネーター™️養成講座」をスタートしました。
事前に自分で調べ尽くして、自分の知識の専門性を確かめるために他社の講座を受講したということでしょうか?
そうですね。他のところが「講座で教えている内容を知りたかった」のと、「自分の知識の専門性を確かめたかった」という2つの理由で受講しましたね。
「布ナプキン」を切り口に様々な社会課題に取り組む

アパレル業界で働いている方は、他の業界に転職しづらいと聞いたことがあるのですが、実際はどうですか?
それはすごくあると思います。
実際に私もアパレル業界から事務職など他の職種に転職を試みたことがありますが、なかなか採用されませんでした。
恐らくアパレル業界で働いている人たちはパソコンが得意ではないというイメージがあるんだと思います。しかし、実際はアパレルショップでも在庫管理や本部との情報連携をパソコンで行うので、事務職も問題なくできるとは思います。
「ごみ問題」へはどのような取り組みをされていますか?
布ナプキンがごみを減らす取り組みにつながっています。
ごみ問題と言えば、海洋プラスチックやレジ袋に注目が集まりますが、使い捨ての「生理用品」もプラスチック製ですし、大量のごみが出ます。
布ナプキンがごみの削減に繋がってるんですね。
布ナプキンを使うことで、女性の身体のケアになる部分もありますが、洗って繰り返し使えるので、ごみの削減にもつながるのです。
布ナプキンを使っている方は、ごみの削減につながっているという意識を持っている方は少ないので、どれくらいごみの削減に貢献できているかという事実もお伝えしていきたいです。
布ナプキン1つで色々な切り口から社会課題について考えられますね。
ごみを減らすためのアクションを起こすことはとても大変なことです。
しかし、使い捨てではなく繰り返し使える布ナプキンを使うことがごみの削減につながっているなど、日常生活の中で自分に気軽にできるアクションを探すことも大切だと思います。
必要なタイミングで、良い出会いが多いのがすごいですね。
想いを言葉に出していることが良い出会いが多い理由かもしれません。こういう人とつながりたい、こういう情報が欲しいと色々な人に言うことで、色々な方が助けてくれたり、紹介してくれます。
言ったことの全てが実現できるわけではないですが、言葉にすることで実現する可能性は確実に上がると思っています。
最後に今後の目標を教えてください。
「curaso」は「モノづくりサードプレイス」としての役割を目指しています。
何かを作りたい時にミシンを使いに行ったり、そこに行けばハンドメイドで何かを作っている方々とつながれるような場所を各地に作りたいと思っています。
「curaso」はソーイングが中心ですが、食加工ができたり、他のモノづくりができる場所を増やしていきたいです。
〈取材・執筆・撮影=林 勇士〉