終身雇用が当たり前だった頃と比べて、現在は色々なキャリアの選択肢が増えています。それでも大企業や公務員が安心だという風潮は根強く、職を変えることをネガティブに考えている方もいまだにいると思います。
このような中で「サラリーマン」と「教員」を経験し、今では3つのボランティア団体の運営をしているのが三浦さん(通称、おってん)です。
なぜサラリーマンを辞めて教員になったのか?なぜ教員を辞めてボランティア団体を3つも運営しているのか?という、三浦さんがボランティアに取り組む根底にある「核心」についてのインタビューをお届けします。

カクシン編集部の林です!僕が聞きました!
三浦くんとは友だちなので、以下「おってん」と記載します!
東京でのボランティアとの出会いがおってんの人生を変えた!

ボランティアを始めた背景を教えてください。
元々は教員になりたいと思って大学に行きました。ですが、進路を考えるうちに「社会人経験をしてから教員になりたい」と思うようになり、まずは一般企業に就職する進路を選びました。
就職先はブライダルやテーマパークなど「人と関わる仕事」を考えていましたが、選考で出会った社員の方が魅力的だったので、パチンコの運営会社に就職しました。
ボランティアとの出会いは就職してからなんですね。
配属されたパチンコ店でも学びはあったんですが、「教員に直結する経験値」をもっと積みたいと感じていました。
5月頃にパチンコ店を退職したので、そんな時期に教員になることも難しく、次の4月までの約1年間を学びの時期にしようと考え、ボランティアに参加するようになりました。
パチンコ店ではどれくらい働きましたか?
福島と茨城で2年2ヶ月働きました。その後、東京で1年ほど色々なボランティアに参加して、鳥取で教師になりました。
パチンコ店ではどんなことを学びましたか?
「人間力」ですね。
ある店舗の店長が「リーダーの真の価値はそのリーダーがいなくなった時に分かる」と言っていたんです。「リーダーの影を追わせない組織を作るべきだ」という話をされたのが印象的でした。
仕事自体は大変なことが多かったですが、魅力的な人達と働けたことが1番良かったです。
そこからなぜボランティアの世界に足を踏み入れたんですか?
パチンコ店は子どもと接する機会がなく、教員を目指しているような同志との出会いもありませんでした。
ボランティアなら、子どもと接しながら、同じ教員を志す人に刺激をもらえる、教員になった時に役に立つ経験ができる、と思いました。
夢だった教員になるも「理想と現実のギャップ」に悩む

教員を志した理由を教えてください。
子どもの頃に僕の兄が教員になりたいと言っていたので、その影響で自然と僕も教師になりたいと思うようになりました。最初は深く考えていなかったというのが正直なところです。
どの教科の教員になろうと思いましたか?
保健体育です。これまで出会った先生の中で、保健体育の先生に特に憧れを抱くことが多かったからです。
社会人経験をしてから学校の先生になろうと思ったのはなぜですか?
大学を卒業してそのまま教員になるのは、僕は経験値不足だと思ったのです。経験値を高めてから教員になりたいと考え、一度企業に就職することにしました。就職活動をしてみると、世の中にこんなに職業の選択肢があるんだと気づきました。もちろん職種が色々あることは知っていましたが、実際にその仕事をするイメージを具体的に持ったのはこの時が初めてでした。
それと同時に、僕は狭い選択肢から教員を選んだんだなと感じたんです。だからこそ生徒たちに、進路には様々な選択肢があることを伝えられる高校教員になりたいと思いました。
なぜ鳥取で教員になったんですか?
働く土地にこだわりはなかったんです。少人数の学校で生徒と教員の距離が近いところ、進学や就職といった進路選択の幅が広いところ、といういくつかの条件で学校を探していたら、鳥取でたまたま見つけたんです。
教員の求人はどうやって探すんですか?
僕が活用したのはハローワークです。全国の教員の募集を探していると鳥取の学校がたまたま出てきて、私の理想の条件と近い学校だったので、面接に行き、採用されました。
教員の仕事はどうでしたか?
とても大変でした。教員になることが夢だったので期待を持って鳥取に行きました。
だけど僕は単純に実力不足でした。夢を大きく持っていた分、理想と現実のギャップが大きくて、よく悩んだ教員生活でした。もちろん、生徒たちとの楽しかったかけがえのない思い出もたくさんありますけどね。
鳥取県で自身初となるボランティア団体「MCC」を設立

教員の仕事が大変な中、ボランティア団体を立ち上げたのは何故ですか?
ボランティア団体を立ち上げようと思えたのは、生徒たちと接する中で、教員という立場と高校の3年間という短い期間では、限られた寄り添い方しかできないと感じたからです。
小さい子から高校3年生まで一緒に参加できるようなイベント等を運営する団体を作ろうと思いました。そうすることで、より長い時間をより身近な関係性で子どもたちと過ごせるのでは、と考えました。
その時に、なぜボランティアの立ち上げという選択肢が出てきましたか?
東京で1年間ボランティアに参加して、たくさんの魅力的な人達に出会いました。こんな人たちと出会えて幸せだと感じたんです。そんな「場所と環境を作った人」への尊敬と感謝の気持ちも抱きました。
ボランティア団体の創設者がいたからこそ、この場所があり、学びや刺激があり、参加者の子ども達に喜んでもらえるんだと思い、僕もそういう場所を作りたいなと考えるようになりました。
その後、鳥取で教員になったんですが、鳥取では僕がやりたいことをやっているボランティア団体がなかったので、自分で作るしかないと思って、ボランティア団体を作ったという流れです。
そのボランティア団体はどんなコンセプトで活動していましたか?
MCCという団体名で、活動のテーマは「子どもに出会いを!」です。
子どもたちに、色々な人・物・事に出会わせることで色々な経験をして、選択肢を広げて、より良い人生の選択に結びついてくれるといいなと思っていました。
スタッフはどうやって集めましたか?
まずは自分で募集チラシを作って、街の飲食店などに掲示してもらいました。
するとただ1人だけ、僕に連絡をくれたので、2人で団体を立ち上げた形にしました。あとは彼が口コミで仲間を増やしてくれたんですよ。(笑)
具体的にどんな活動を実施しましたか?
2月14日に裏クリスマスという名前で、「未熟者サンタが一人前のサンタになる試験を、みんなで協力する」という1日がかりのレクリエーションをしました。オリジナリティにこだわって企画しました。
参加者の子ども達はどうやって集めましたか?
チラシを作って、教育委員会に後援をしてもらい、各学校に配布しました。
初めての団体運営でそれはすごいですね!
MCCを手伝ってくれていたスタッフは年齢層が広かったんです。当時27歳の僕が1番若かったと思います。30代と60代の方が4〜5人ずつ参加してくれていました。
その方々が知識が豊富だったので、後援依頼などの手続きを教えてくれました。
「MCC」という名前にはどんな意味がありますか?
「Make a Chance for Childlen」の略です。子どもに機会・出会いを!という意味です。
今3年2ヶ月くらい活動が続いています。
教員を辞めてUターン移住!大分県でも新たなボランティア団体を設立

教員を退職して地元の大分県に帰省したのはなぜですか?
鳥取で体調を崩してしまい、療養しようと思っていました。
ちょうどコロナの影響でリモートワークが浸透してきた頃だったので、大分に帰省してからも、2年くらいはオンラインでMCCの代表を務めましたね。
トラッシュヒーローを作ったのはいつ頃ですか?
2021年の1月ですね。
帰省してからトラッシュヒーローを立ち上げるまでの半年は何をしていましたか?
1泊2日で離島に旅行に行ったり、四国に行って車中泊をしたり、自由に過ごして療養をしていました。
そして、2020年10月に職業訓練という制度を知り、Webデザインの職業訓練校に通いました。
職業訓練校に通いながら、大分でもボランティア団体を立ち上げようと思ったのはなぜですか?
だんだん体調も回復してきて、何かをやりたいという気持ちが湧いてきました。鳥取でボランティア団体を設立したこともあったので、大分でも作りたいと思いました。
なぜ「ごみ拾い」ボランティアだったんですか?
ごみ拾いに着目したのは、大分県でごみ拾いボランティアをしている清瀬健太郎くん(通称、きよけん)をSNSで知ったことがきっかけです。
僕もボランティアは好きだけど、ごみ拾いには関心がなかったのが当時の本音です。彼はなぜごみ拾いをやるんだろうと疑問に思いました。
ごみは汚いし、拾っても仕方ないと思っていたんですが、清瀬くんはとても楽しそうにごみ拾いをしていて、ごみ拾いよりも清瀬くん自身に興味を持ち、会ってみたいと思いました。
その時に、清瀬くんと一緒にごみ拾いをしたんですか?
いえ、清瀬くんとはなかなか会えなかったんです(笑)
でも、「僕もごみ拾いのボランティア団体を作れば、いつか清瀬くんに会えるだろう」「清瀬くんのような人が集まる場所を作れると面白い」と思いました。
僕は人が集まる場所・出会う場所を作りたいと思っています。ごみ拾いは基本的にスキルなど必要ありません。だからこそ善意さえあれば誰でもできる。「わざわざごみ拾いをする、いい意味で変わった人たち(笑)」と出会える場所になればと思い、TRASH HERO OITAという団体を立ち上げました。
ボランティアの魅力は誰でも気軽に参加できること

話を聞いていると、おってんは「人が集まる場所・出会う場所を作りたい」と一貫して考えているんだなと感じます!
東京で参加したボランティア団体の影響が大きく、同じような場所を作れる人になりたいという気持ちが一貫してあります!
東京のボランティア団体のどんな所に魅力を感じたんですか?
企画を喜んでくれる参加者さんがいました。でも僕が感動したのは、スタッフ側がいつも本気で、なおかつ心の底から楽しんでいたことでした。
参加者さんが楽しんでいるのは当たり前で、老若男女どんな立場の人でも、スタッフがボランティアに熱中して、打ち上げでみんなで盛り上がることが本当に楽しかったんです!
所属も年齢も性別も関係なく、同じ方向を目指すというのがボランティアの特徴なのかもしれませんね!
そうだと思います!
ボランティアは例えばビジネスと比べた時に、敷居が低いということも大事なことだと思います。
気軽に来られるからこそ色々な属性の人が集まるんですね!参加者の入れ替わりも多く、常に新しい面白い人がいる、そんな場所はスポーツサークルとかでは難しいですよね。
はい!「まだここにない出会い」に僕はいつもワクワクしています!
おってんが考える「キャリアチェンジ」について

これまで色々な場所で色々な仕事やボランティアをしてきて、「キャリアチェンジ」について考えていることがあれば教えてください。
僕は本当にいろんなことをやってきました。
僕の経歴を知って、「おってんは何をやりたいんだ?」と疑問に思う人もいると思います。まるでばらばらに見える「点」ですが、僕の中では常に1つの「軸」に沿っていました。
キャリアチェンジも、自分の中に軸があれば、例え周りがなんと評価しようと、それでいいなって思います。もし自分の「軸」が分からなくても、今を真剣に生きることができていればいいはずです。
すごい信念ですね。
僕が描いてきた「点」は、確かに一見ばらばらです。家族も何度も心配を口にしていました(笑)
実は僕自身も、自分の「軸」を明確に自覚できていない時もありました。
青少年健全育成のボランティア団体を立ち上げたかと思えば、ごみ拾いの団体を立ち上げ、青年海外協力隊を急に目指したこともあったし、エンカルっちゃ!というイベントを企画し始めるなど。
ただ、僕はいつも「本気でやりたいこと」をやってきました。ある時、僕のしたいことの根本は「文化を創ること」だと気づきました。どれもこれに繋がってるじゃんって、自分で納得したのです。これって、その時その時を真剣に生きてきたからこそだと思います。
色々やっていても、おってんの中では「文化を創りたい」という1つの核心があるんですね!
その時の選択に本気で取り組むことが大事だと思います。すると、点として存在していたことがいずれ線になるのかなと。
僕は人の目を気にする性格なので、「あいつまた違うことやってるよ」と思われてるかなと気にはなりますが、本気で取り組んでいるので、突き進むことができます。
やらないと後悔すると思うので、やりたいと思たことは本気でチャレンジします!
本気で夢を実現するために努力するおってんの姿に、周りの人は惹かれるんですね!
鳥取でも大分でも、何人もの人たちがおってんのサポートをしてくれているのは本当にすごいことだと思います。
その点に関しては、本当に感謝しています。
僕がやりたいことをやれているのは、周りの人にサポートをしてもらっているからだと肝に銘じています。皆様、本当にありがとうございます。
〈取材・執筆=林 勇士/撮影=ハル〉
2022年11月3日は田浦ビーチの「エンカルっちゃ!」にあつまれ!
