インタビュー記事

清瀬 健太郎|学校の先生が適応障害で不登校に…。「ごみ拾い」をきっかけに気付いた「社会とつながる重要性」(前編)

大分県大分市で放課後等デイサービスの職員として働く清瀬さん。休日はSNSで人を集めて大分市の海岸沿いでごみ拾いをする活動をしています。

子どもが大好き、笑顔が印象的な清瀬さんの周りには自然とたくさんの人が集まってくる。そんな活動を始める背景には適応障害で休職した過去がありました。

【清瀬 健太郎 (きよせ けんたろう) 】放課後等デイサービスCanCanで児童指導員として勤務。大分県大分市生まれ。『出逢いは一瞬 ご縁は一生』をモットーに、人と人とを繋ぐ活動に力を入れ、自身でイベントの企画や海ごみ拾いボランティア団体の代表等を行う。2023年1月15日に「中村 文昭氏」の講演会を主催予定。午後ティーよりも紅茶花伝派。ポンカンよりみかん派。

カクシン編集部の林です!僕が聞きました!

あることがきっかけで「月1回」のごみ拾いが「週8回」に急増

ごみ拾いを始めたきっかけは何ですか?

大阪にある大学に通っている時に、ボランティアを頑張っている先輩の影響で始めたんです!

大分に帰省するたびに、大分駅前で実施されている「大分県に役立つ楽しい会」に参加したり、1人でごみ拾いをしたりと、月に1〜2回はごみ拾いをするところから始まりました。

今みたいに週に何回もごみ拾いをするようになったきっかけはありますか?

実は僕、適応障害になったことがあるんです。

それがきっかけでごみ拾いをする頻度が月1〜2回から、多い時は週に7〜8回もごみ拾いをするまでに増えました。

それは知りませんでした。具体的な経緯を聞いてもいいですか?

大阪の大学を卒業して、大分県で学校の先生になりました。

でも、教諭になってから2年半が経った頃、ある日学校に行けなくなったんです。

朝起きて、ベッドの上で出勤前に泣いたり、学校に行くけど学校の前を右折して通り過ぎたり・・・。学校にどうしても入れなくて。家でぼーっとする。学校の先生のくせに不登校です。

大人になってから、不登校を経験しました。ギリギリのところで気持ちを保っていたけど、対人関係がふってきて、休職して辞めました。

笑顔が印象的な清瀬さんからは考えられない過去ですね。

僕はもともと母子家庭で父親の愛を知らないですし、僕自身大人になってから適応障害やうつ病と診断されて、社会からぷつっと断絶した感じがありました。

そういう経験があるから、不登校の子どもの気持ちは100%ではないけどわかると思っています。行きたい気持ちは多少あるのに学校にいけないんですよ。

適応障害から社会へ復帰する第一歩が「ごみ拾い」

どうやって立ち直ったんですか?

学校の先生だった時は不眠症で、それが適応障害の原因の1つだと言われたので、休職してまずはめちゃくちゃ寝ました。「寝ることが仕事です」と医者からも言われたんです。

ですが、寝るのも1週間すると飽きます。寝たいという欲求から解放されたので、色々やってみようという気持ちになりました。

寝るのが仕事だと聞くと羨ましがる人が多そうですが、1週間で飽きるもんなんですね。笑

そうでした。笑

寝ることに飽きたので、次はできることからはじめてみようと家の中で作業していると、今度は外に出ていきたくなる。一個一個、自分に巻きついていた鎖が解けていくんです。

適応障害になる原因は1つじゃないって言いますもんね。

はい。そのうち、自転車で外に出られるようになりました。そうしていると、なにか「社会へ貢献したい」という欲が出てきたんです。

それでも、人と関わるのは少しハードルが高かったので、人と関わらずに社会へ貢献できる方法を探して、募金やごみ拾いを始めました。

そこから今のごみ拾いの活動につながっているんですね!

逆に言うと、それしか出来なかったんです!笑

お金がかからずに自分1人でできることを探してごみ拾いを始めました。

もともと大学時代もアウトドア活動の部活に所属していました。単純に人と関わることが好きだったんです。その部活には社会貢献への意識が高い女性の先輩がいて、その人の影響を大きく受けましたね。

6年以上続けて今はごみ拾いが「ライフワーク」に

社会貢献への意識がもともと高いんですね!

そういうわけではないんですよ!最初は社会貢献なんて興味ありませんでした。

でも自分のためにごみ拾いを始めて6年ほど続けていると「ライフワーク」になりました。

まずごみ拾いを通して「社会」とのつながりができたんです。そこから今度は「自然」と「人」とつながりたいと思うようになりました。今はその途中です。ごみ拾いの活動を通して、だんだん適応障害を患う前の元の自分に戻った感覚ですね。

ごみ拾いの活動が適応障害からの復帰にも影響したんですか?

朝からごみ拾いをしていると生活リズムが整うんですよ!日光を浴びて人に会う。自然と体が求めるようになります。

寝る、風呂入る、飯食う、寝るという生活から、ごみ拾いを通して社会へのつながりを求めるようになりました。

ごみ拾いが社会とのつながりをつくってくれたんですね!

ごみ拾いを続けていると、観光で来てくれた人が声をかけてくれるようになりました!

「大分の海がきれいなのはあなたたちのおかげですね」と言ってくれたことがあって。最初は自分のためにやっていた活動でも、自分の小さな行動が社会のためになるのも悪くないなと思うようになりました。

大分の海が綺麗と思ってくれる人がいると、とっても嬉しいです!

大勢での行うビーチクリーンを企画する真意

ごみ拾いを通じて社会復帰したことが、今のビーチクリーンの活動に繋がっていますか?

療養中に1人でごみ拾いをしていたのが大在という港町でしたし、そもそも海辺でごみ拾いをするのが好きなんですよ。

なので、社会復帰して自分の楽しみとしてごみ拾いをするようになってからも、海辺でごみ拾いをしたいと思い、大分市の田ノ浦ビーチでごみ拾いをすることが増えました!

最近はすごい大人数でビーチクリーンイベントをやっていますよね?

元々は1人でごみ拾いをするのが好きなので、1人で田ノ浦ビーチに行ってごみ拾いをして、SNSに投稿することをしばらく続けていました。

すると「一緒にしたい!」「清瀬くんなら大勢を集められるよ!」と声をかけてもらえることが増えたので、試しに「ごみ拾いをするよ」とSNSで投稿したら口コミで広がりました!

あれはニーズに答える形で集まるようになったんですね!

そうなんです!そもそも大勢を集めたいというよりも、「僕はこの日にごみ拾いするし、道具は余分にあるので来たい人はぜひ!」という感覚でした。

すると、全然知らない人が集まってくれるようになりましたね。

最初に声をかけた時は何人集まったんですか?

最初は3名来てくれました。しかも、3名とも僕の直接的な知り合いではない方々です。笑

僕のSNSの投稿を巡り巡って見てくれた方や、田ノ浦ビーチで僕の活動を見ていてくれていた方もいましたね。

元々は1人でするごみ拾いが好きだと言っていましたが、大勢でするごみ拾いも楽しいですか?

サークルみたいにメンバーになるとかならないとかではないので、来たい人が来れる時に集まっています。

なので、いつも特定の人だけではなく、様々な年齢の人や色んな人と関われるのが楽しいですね!

どんな年代の方々が集まっていますか?

0歳から80代までかなり幅広い方々が集まってくれています。

普段生活していると、そんなに幅広い年齢層の人たちと会って、話す機会ってそんなにないじゃないですか?

人と会うきっかけになるし、ごみを拾って街がきれいになる、それが社会貢献につながるって、ごみ拾いはやっぱり最高だと思いますね!

〈取材・執筆=林 勇士/撮影=ハル〉

中村 文昭氏の講演会のご案内

清瀬さんが主催する「中村 文昭さん」の講演会が、2023年1月15日に大分市内で開催されます。

ごみ拾いを通じて、大分県中の面白い人と出会い続けている清瀬さんが「もう大分県のおもろい人達にめちゃくちゃ出逢えます!」と自信を持って勧めている講演会です!ぜひ当日の講演会に参加してみてください!

僕も参加します!

チケットの購入はこちら↓

  • この記事を書いた人

林 勇士

【合同会社ビジョナリープロジェクト代表/カクシン編集長/社会派WEBライター】大分県中津市出身。1990年生まれ。2013年に大分大学を卒業後に産業廃棄物処理業界に新卒入社。関西、関東での勤務を経て、2018年に合同会社ビジョナリープロジェクトを創業。1年間の東南アジア、ヨーロッパでの海外調査を実施。2019年10月にUターン移住し、デザインの力で「ごみをお金に変えるアップサイクル」事業を中津市で開始。社会起業家のデザイン支援や企業のSDGs支援を行う。

-インタビュー記事